ローデシアの年表
- 1853年7月5日 C・ローズ誕生
- 1855年11月17日 リヴィングストンがヴィクトリア滝に到達
- 1862年 J・S・モファットがマタベレランドに伝道所を開設
- 1870年 ムジリカジの子、ローベングラがンデベレ族の王に即位
- 1871年9月5日 ドイツ人地質学者C・マウフがジンバブエ遺跡を調査
- 1873年5月 リヴィングストンがザンビアで死去
- 1877年10月 フランス人宣教師のF・コワイヤールがマショナランドを探検
- 1881年 C・ローズがロスチャイルドの後ろ楯で「デ・ビアス鉱山会社」を設立
- 1885年 イギリスが南ローデシアとベチュアナランド(現ボツワナ)を保護領とする
- 1887年7月30日 ローベングラ・トランスヴァール協定成立
- 1888年10月30日 C・ローズがンデベレ族とラッド協定を結ぶ
- 1889年10月29日 イギリス南アフリカ会社が設立される
- 1889年 原住民委員会の勧告により104ヵ所に「原住民指定地域」設定
- 1889年 マショナランドでジェームソン条約締結
- 1890年6月27日 イギリス南アフリカ会社がバロツェランドを保護領化
- 1890年9月 パイオニア・コラムがソールズベリー砦を建設
- 1893年11月 ンデベレ族の反乱が起こり、イギリス南アフリカ会社が鎮圧しブラワヨを支配
- 1895年2月2日 マショナランドおよびマタベレランドを南ローデシアと命名
- 1896年 ンデベレ族が土地配分に反対して反乱を起こす(第一次チムレンガ戦争)
- 1897年 キンバリー・ブラワヨ間に鉄道建設
- 1898年 南ローデシア立法審議会が「原住民購入地」を設定
- 1900年10月17日 ロヅィ族とイギリス南アフリカ会社の間に協定成立
- 1902年 C・ローズが49歳で死去
- 1906年 ニヤサランドでウォッチ・タワー運動が起こる
- 1915年1月23日 ニヤサランドでチレンブエが反乱を起こす
- 1922年 イギリス南アフリカ会社がローデシアの統治権を放棄
- 1923年10月1日 南ローデシア自治政府が誕生
- 1924年4月1日 北ローデシアがイギリス南アフリカ会社の支配から離れイギリス直轄植民地となる
- 1925年 北ローデシアで銅鉱脈が発見される
- 1926年 カーター委員会がローデシアの人種別土地配分を勧告
- 1927年 アフリカ人鉱山労働者のストライキ
- 1931年 G・ハギンズがローデシア党を離脱し改革党を結成する
- 1931年 カーター委員会の勧告に沿って土地配分法を制定
- 1933年9月6日 G・ハギンズが南ローデシアの首相に就任
- 1934年 南ローデシア・アフリカ人民会議(SRANC)設立
- 1935年5月20日 北ローデシア産銅地帯のアフリカ人労働者がストライキを行う(〜5月31日)
- 1938年 ローデシア・ニヤサランド連邦成立の可能性を調査する「ブレディスロー委員会」が任命される
- 1941年 土地配分法を改正して都市に住むアフリカ人にタウンシップを設置する
- 1941年 R・ウェレンスキーが北ローデシア労働党を結成
- 1944年 ニヤサランド・アフリカ人会議(NAC)結成
- 1945年10月 南ローデシアで鉄道労働者のストライキ
- 1946年 南ローデシアで原住民労働供給委員会(NLSC)が設立される
- 1947年 「労働移動に関する三国間協定」締結(1960年改正)
- 1948年4月 商・工業アフリカ人従業員サボタージュ
- 1948年 南ローデシア「特別原住民地域」を設定
- 1949年 連邦化に関する第一回ヴィクトリア・フォールズ会議
- 1951年 「原住民土地耕作法」施行
- 1949年 連邦化に関する第二回ヴィクトリア・フォールズ会議
- 1953年9月4日 ローデシア・ニヤサランド連邦が英連邦内の準独立国として成立(〜1963年)
- 1956年9月 北ローデシアの産銅地帯でアフリカ人鉱山労働者がストライキ、非常事態宣言が発令される(〜1957年1月1日)
- 1956年10月31日 G・ハギンズ引退、R・ウェレンスキーが連邦首相に就任
- 1957年9月 J・ンコモがアフリカ民族会議(ANC)を設立する
- 1958年6月5日 統一労働党(UFP)が選挙に勝ち、E・ホワイトヘッドが南ローデシアの首相に就任
- 1958年7月6日 H・K・バンダがニヤサランドに帰国しNAC議長に就任する
- 1959年2月 ANCが非合法化
- 1959年8月 NACが「マラウイ会議党」と改称
- 1959年 ザンビア民族会議(ZNC)非合法化
- 1960年1月1日 民族民主党(NDP)結成
- 1961年12月6日 南ローデシア新憲法制定(1962年11月1日発効)
- 1961年12月7日 J・ンコモによりジンバブエ・アフリカ人民同盟(ZAPU)が結成される
- 1961年 NDPが非合法化
- 1961年 ローデシア戦線(RF)党結成
- 1962年6月10日 国連総会がローデシアの1961年憲法の停止などを決議
- 1962年9月20日 ZAPUが非合法化
- 1962年10月 北ローデシア・バロツェランド地域選挙でUNIPがBNP・ANCに勝利
- 1962年12月14日 北ローデシアにカウンダ・ンクンブラ連立内閣が成立
- 1962年12月17日 南ローデシアの首相にW・フィールドが就任
- 1963年1月30日 R・A・バトラーが連邦解体を提示
- 1963年2月1日 ニアサランドがローデシア・ニアサランド連邦より離脱
- 1963年2月7日 H・K・バンダがニヤサランド首相に就任
- 1963年6月28日 イギリス・南ローデシア両政府がビクトリア・フォールズで連邦解体問題を討議(〜7月3日)
- 1963年8月8日 N・シトレがZAPUから分離し、ジンバブエ・アフリカ民族同盟(ZANU)を組織、ZAPU残党は人民暫定評議会(PCC)に結集する
- 1963年12月31日 北ローデシアの離脱によりローデシア・ニヤサランド連邦解体
- 1964年4月13日 I・スミスが南ローデシアの首相となる
- 1964年4月16日 J・ンコモ逮捕される
- 1964年6月22日 N・シトレが逮捕されZANUが非合法化
- 1964年7月6日 ニアサランドがマラウイとしてイギリスから独立、バンダが大統領に就任
- 1964年8月21日 ハイフィールド・タウンシップに非常事態宣言、ZANU、PCCが非合法化
- 1964年9月4日 スミス首相がサラザールと経済協力について会談
- 1964年9月7日 ロンドンでローデシア独立問題に関する首脳会談
- 1964年10月7日 ハラレ・タウンシップに非常事態宣言
- 1964年10月20日 スミス首相がインダバを召集
- 1964年10月24日 北ローデシアがザンビアとしてイギリスから独立、カウンダが大統領に就任
- 1964年11月5日 独立の賛否を問う国民投票実施
- 1964年11月30日 南アフリカがローデシアと通商協定調印
- 1965年2月21日 ボトムリー英連邦相、ガーディナー法務長官がローデシアを訪問し「五原則」を発表
- 1965年2月24日 ローデシア・モザンビーク間に新通商協定締結
- 1965年2月 ジンバブエ・アフリカ人労働組合会議(ZACU)非合法化
- 1965年5月7日 総選挙で「ローデシア戦線」が圧勝
- 1965年10月18日 スミス首相がトッド前首相を拘禁する
- 1965年10月25日 ウィルソン英首相がローデシアを訪問
- 1965年11月5日 ローデシア政府が国家非常事態宣言発令
- 1965年11月11日 南ローデシアが一方的にイギリスから独立を宣言(UDI)
- 1965年11月11日 南アフリカがローデシアと「通常の通商」を行うと声明
- 1965年11月20日 国連安保理が対ローデシア石油輸出禁止を要請
- 1965年12月1日 イギリスがローデシアに対して経済制裁
- 1965年12月16日 タンザニアがローデシアとの外交関係を断つ
- 1965年12月18日 ローデシアがザンビア向けの石油供給を禁止
- 1966年4月30日 ZANUがシノイアで武力闘争を開始、第二次チムレンガ戦争を名乗る
- 1966年11月8日 OAU首脳会議が、イギリスに対ローデシア武力制裁を要請し、OAU加盟国には対ローデシア制裁完全実施を要請
- 1966年12月16日 国連安保理が対南ローデシア経済制裁を採択
- 1967年2月9日 ローデシアが英連邦諸国に対し特恵関税を廃止
- 1967年8月25日 ZAPUと南アANCが共同戦線を組織し武力闘争を開始、事態を憂慮する南アの国家安全保障局は部隊をローデシアに派遣
- 1967年12月 ZAPUと南アANC合同部隊がローデシア領内に侵入するがローデシアSASに殲滅される、その後、ZAPUと南アANC合同部隊は数次に渡る攻撃を実施するが、いずれも殲滅される
- 1968年4月10日 ローデシア制憲委員会が報告書を提出
- 1968年5月29日 国連安保理が対南ローデシア全面経済制裁を採択
- 1968年10月9日 スミス首相とウィルソン英首相がジブラルタルの「フィアレス号」で会談するも決裂
- 1968年11月8日 国連総会が南アフリカとポルトガルの対ローデシア経済制裁ボイコットを非難
- 1969年1月15日 英連邦首脳会議で各国がイギリスによる対ローデシア武力制裁を要請
- 1969年5月21日 ローデシア政府が新憲法白書を発表
- 1969年6月 スミス政権「共和国憲法」を採択
- 1969年11月18日 ローデシア議会が新憲法承認し「土地保有法」が成立
- 1970年1月 ローデシアSASがフォート・ビクトリアでZAPUのゲリラ部隊を殲滅、ZAPUは戦列建て直しを余儀なくされる
- 1970年2月17日 ローデシアが新貨幣制度を採用し通貨をローデシア・ドルに切り替える
- 1970年3月3日 ローデシアが共和国宣言を行いC・デュポンが大統領に就任
- 1970年3月9日 米国がソールズベリー領事館を閉鎖
- 1970年4月10日 ローデシア共和国第一回総選挙で「ローデシア戦線」が圧勝する
- 1971年6月29日 ローデシア政府とグッドマンを長とするイギリス交渉団がソールズベリーで談合
- 1971年10月1日 ZAPUとZANUが党員を統一して「ジンバブエ解放戦線(FROLIZI)」を結成
- 1971年12月16日 A・ムゾレワが国内民族主義者を糾合し「アフリカ人民族評議会(ANC)」を結成し、ピアース委員会案に反対の声明を発表
- 1972年1月11日 ピアース委員会のメンバーがソールズベリーを訪問
- 1972年3月24日 ピアース委員会が報告書を提出
- 1972年5月21日 OAU解放委員会がローデシア民族解放ゲリラに軍事援助を開始
- 1972年8月23日 ローデシア党(RP)結成
- 1972年12月15日 ローデシア国防相、ナショナル・サービスの期間を9ヵ月から1年に延長
- 1973年1月9日 ローデシアがザンビアとの国境を閉鎖する
- 1973年3月10日 国連安保理がザンビア国境封鎖を非難
- 1973年7月17日 スミス首相がANCと秘密会談
- 1973年9月8日 アフリカ人のゲリラ活動を抑えるため「改正法秩序法」を制定
- 1973年11月28日 アラブ諸国がポルトガル、ローデシア、南アフリカへの石油輸出禁止を声明
- 1973年 OAUがタンザニア、ザンビアの斡旋でFROLIZIの合同会議を設置
- 1974年12月9日 統一アフリカ人民評議会(UANC)が結成される
- 1974年12月12日 ルサカ会談が開催される
- 1975年1月4日 J・キャラハン英外相とフォルスター南ア首相がポート・エリザベスでローデシア問題を討議
- 1975年2月5日 スミス首相がUANC指導者とソールズベリーで秘密会談
- 1975年2月6日 UANC指導者がカウンダ、ニエレレ、カーマ、マシェル各大統領とダルエスサラームで会談
- 1975年2月11日 南ア警察軍がローデシアから撤退
- 1975年2月25日 UANCのR・ムガベが5年後のアフリカ人多数支配を政府が受け入れたと発表
- 1975年3月18日 UANCのH・チテポがルサカで暗殺される
- 1975年6月 ZAPUとZANUが指導権争いから流血事件を起こす
- 1975年8月15日 ヴィクトリア・フォールズ会議が開催される
- 1975年9月1日 UANCが分裂しZANUとFROLIZIが「ジンバブエ解放審議会(ZLC)」を結成、A・シトレが議長に就任
- 1975年9月11日 ムゾレワ議長がUANCから追放され「ANC国外派」を結成
- 1975年9月28日 「ANC国内派」新議長にンコモを選出
- 1975年10月20日 スミス首相がフォルスター南ア首相とプレトリアで会談
- 1975年10月28日 ンコモANC議長がカウンダ大統領とルサカで会談
- 1975年10月31日 スミス首相がンコモANC議長と制憲問題で会談
- 1975年12月1日 スミス首相とンコモANC議長の第2回会談
- 1976年2月2日 ンコモANC議長がキャラハン英首相とロンドンでローデシア制憲問題について会談
- 1976年2月20日 グリーンヒル英特使がソールズベリーを訪問しスミス首相、ンコモANC議長と会談
- 1976年3月3日 モザンビークがローデシアとの国境を封鎖
- 1976年3月16日 キッシンジャー米国務長官がローデシアのアフリカ人多数支配を支持すると表明
- 1976年3月19日 スミス首相、ンコモANC議長の会談が決裂
- 1976年3月22日 イギリスがローデシアのアフリカ人多数支配案を提示
- 1976年3月24日 フロントライン諸国会議が開催される
- 1976年4月27日 キッシンジャー米国務長官がルサカで米国のアフリカ人多数支配の原則を確認する
- 1976年5月27日 ンコモANC議長がモスクワを訪問
- 1976年7月8日 ンコモ、シトレ、チケレマ、ムゾレワのローデシア解放戦線指導者が、ニエレレ、カウンダ、マシェル、カーマ各大統領とダルエスサラームで会談
- 1976年8月8日 ローデシア軍がモザンビークのゲリラ基地を越境攻撃
- 1976年9月5日 フロントライン5ヵ国がダルエスサラームで会談
- 1976年9月6日 キッシンジャー米国務長官がフォルスター南ア首相とローデシア問題についてチューリッヒで会談
- 1976年9月14日 キッシンジャーがニエレレ、カウンダ両大統領と会談
- 1976年9月19日 スミス首相とキッシンジャー米国務長官がプレトリアで会談
- 1976年9月20日 キッシンジャー米国務長官がカウンダ、ンコモ、ニエレレと会談
- 1976年9月23日 キッシンジャー米国務長官がキャラハン英首相と会談
- 1976年9月24日 キッシンジャー米国務長官が2年以内のアフリカ人多数支配移行を内容とする提案を提示、スミス首相が受諾する。
- 1976年9月26日 フロントライン5ヵ国首脳によるルサカ会談、キッシンジャー提案に対し、暫定政府について反対する
- 1976年10月3日 ムゾレワがローデシアに帰国
- 1976年10月8日 クロスランド英外相がジュネーブ会議を提案
- 1976年10月9日 ZAPUのンコモとZAUNのムガベが「愛国戦線(PF)」を結成
- 1976年10月28日 I・リチャードを議長として、ジュネーブ会議が始まる
- 1976年11月3日 ジュネーブ会議が決裂する
- 1976年11月6日 フロントライン5ヵ国首脳、ローデシア問題解決のためゲリラ闘争を支持
- 1976年12月14日 ジュネーブ会議延長
- 1976年12月30日 J・チラウとK・ヌディウェニが「ジンバブエ統一人民機構(ZUPO)」を結成
- 1977年1月17日 ジュネーブ会談再開
- 1977年1月30日 OAU会議がPF支持を表明
- 1977年5月16日 国連加盟87ヵ国による「マプート会議」がジンバブエ、ナミビア解放闘争のため「宣言」と「行動計画」を採択
- 1977年8月31日 総選挙でRFが完勝する
- 1977年9月1日 イギリスと米国が新提案を提出するが、スミス首相は拒否する
- 1977年9月23日 フロントライン5ヵ国がマプートで会談し、新提案を今後の交渉の基礎とすることを決議する
- 1977年9月25日 スミス首相とカウンダ大統領がルサカで秘密会談
- 1977年9月26日 PFが新提案を条件付きで受諾
- 1977年11月23日 スミス首相が一人一票制を受け入れ、ムゾレワ、シトレ、チラウと国内解決をめざす
- 1978年1月30日 オーエン英外相、ヤング米国連大使、PF指導者とマルタで会談
- 1978年3月3日 スミス首相と穏健三派の間で「ソールズベリー協定」が調印される
- 1978年8月14日 スミス首相、ンコモの秘密会議
- 1978年9月3日 ZAPUがSAM-7地対空ミサイルでバイカウント機を撃墜、乗客乗員56名中のうち48名が死亡
- 1978年10月19日 ローデシア軍がバイカウント機撃墜の報復攻撃としてルサカ近郊のZAPU司令部を攻撃
- 1978年12月 ZANUが燃料タンクに対する攻撃、ローデシア軍はモザンビーク国内の経済施設へ報復攻撃
- 1979年1月 ローデシアで一人一票制を定めた憲法草案が国民投票にかけられ成立
- 1979年2月12日 ZAPUによる二度目のバイカウント機撃墜により乗客乗員59名全員が死亡
- 1979年4月13日 ローデシア軍がバイカウント機撃墜の報復攻撃として、ザンビアへ越境攻撃、ヌコモ議長の自宅を襲撃
- 1979年4月17日 ローデシアで初めて1人1票制の総選挙が実施され、投票率は64.5%に達する
- 1979年5月29日 「国内解決」によるムゾレワ政権樹立
- 1979年6月1日 ジンバブエ・ローデシアと改称
- 1979年9月10日 ロンドンでランカスター・ハウス制憲会議が始まる
- 1979年12月12日 暫定管理のため、イギリスのソームズ総督がソールズベリーに赴任し、ローデシアがイギリス植民地に復帰
- 1979年12月21日 ローデシアとアフリカ人抵抗組織が、ローデシア国内での相互停戦、越境攻撃の禁止、20日以内のゲリラの集結などで合意
- 1979年12月22日 ランカスター・ハウス制憲会議が最終合意に達する
- 1979年12月29日 ローデシア国内で戦闘が終結
- 1980年3月3日 総選挙でZANU,PFが圧勝
- 1980年4月18日 イギリスからジンバブエとして独立
ローデシアの統治者
ローデシア・ニヤサランド連邦
- 1953年〜1956年 G.M.ハギンス首相
- 1956年〜1963年 R.ウェレンスキー
ローデシア・ニヤサランド連邦の存在した10年間は、連邦首相のもと、南ローデシア、北ローデシア、ニヤサランドの首相ないし行政長官が任命された。
南ローデシア
- 1923年〜1927年 C.P.J.コクラン首相
- 1927年〜1933年 M.U.モファット
- 1933年 G.ミッチェル
- 1933年〜1953年 G.M.ハギンス
- 1953年〜1958年 R.S.G.トッド
- 1958年〜1962年 E.C.F.ホワイトヘッド
- 1962年〜1964年 W.フィールド
- 1964年〜1979年 I.スミス
- 1979年〜1980年 A.T.ムゾレワ
北ローデシア
- 1911年〜1921年 L.A.ウォレス行政長官
- 1921年〜1923年 D.P.チャプリン
- 1923年〜1924年 R.A.J.グード
- 1924年〜1927年 H.J.スタンリー
- 1927年〜1932年 J.C.マックスウェル
- 1932年〜1934年 R.ストーズ
- 1934年〜1938年 H.W.ヤング
- 1938年〜1941年 J.A.メイビン
- 1941年〜1947年 E.J.ワディントン
- 1948年〜1954年 G.M.レニー
- 1954年〜1958年 A.E.T.ベンソン
- 1958年〜1964年 E.D.ホーン
ニヤサランド
- 1891年〜1896年 H.H.ジョンストン行政長官
- 1896年〜1910年 A.シャープ
- 1911年〜1913年 W.H.マニング
- 1913年〜1923年 G.スミス
- 1923年〜1929年 C.C.ボーリング
- 1929年〜1932年 T.S.W.トーマス
- 1932年〜1934年 H.W.ヤング
- 1934年〜1939年 H.B.キッターマスター
- 1939年〜1942年 H.C.D.C.ケネディー
- 1942年〜1947年 E.C.S.リチャーズ
- 1948年〜1956年 G.F.T.コルビイ
- 1956年〜1961年 R.P.アーミテイジ
- 1961年〜1964年 G.S.ジョーンズ
1893年〜1907年の間は「イギリス領中央アフリカ」と呼ばれていた。